2015年12月15日火曜日

マンハッタンで学校に行く①


コツコツ準備を進めてきた
Pre-K 

(公立幼稚園/Pre-Kindergartenの略)の入学準備ですが、
その後、無事に市からオファーが届きました。

しかしながら第4希望。
微妙、、、、

”Pre-K Center"?
聞いたことない・・・・

いくら公立は授業料がかからないとはいえ、

教育の質が悪ければ行かせる意味がありません。
とはいえ、高額な私立幼稚園の現状を考えると
ぜひともうちは公立に通わせたい

公立幼稚園Pre-Kはこれまで席数に限りがあり

ほんの一握りの子供のためだけのものでしたが、
今年はそれが飛躍的に改善されニューヨーク市の変革は
全米中で大変な話題となりました。

市は昨年から2ヶ年計画で”Pre-K for All" ( 全ての4歳児にPre-Kを)
というスローガンを掲げ政策を推し進め、2年目の今年は既存の
小学校に席だけ増やしてもまだ補いきれない分を新たな受け皿を
作ることで待機児童の解消に成功。

その受け皿のひとつが娘が通うことになった”Pre-K Center"です。


これがなかなかすごくて娘の通うところは2年前に出来た

新しい小学校の空き教室を利用して、ワンフロア丸々だだーっと
間借りする形で10クラス180人分の席を用意。

この規模のPre-K Centerが市内に6校新設されました。

この潔さといったら!さすがです。
校舎をシェアするという柔らかい発想!

マンハッタンの学校ではよくあることで驚くことではないのですが、
とても新鮮に感じます。

もうひとつ要の施策として私立幼稚園の中に授業料を一部

または全額免除する大胆なプログラムも用意しました。

かたや数百万、かたや無料・・・

やっぱりすごく不公平な気がしますが、
実現にむけてあらゆる手を尽くす。

問題が解決するなら

多少の不便や不公平には目を瞑る・・・
アメリカという国の寛容性を感じるのはこんな時です。

最終的に、受け入れ先は昨年より400ヶ所増え1,850ヶ所に。
先生たちにも1人あたり$3,000前後のボーナスを付与して
確保に取り組むなど、絵に描いた餅にしないための具体策を
次々に打ち出しました。

結果、約7万人、昨年比3割増、2年前の3倍の数の4歳児が

めでたく幼稚園に通えるようになり、我が家の娘もその恩恵に
あやかることが出来たというわけです。


そんな歴史的な年の当事者となった娘のPre-K Centerでの新しい
学校生活がいよいよ始まりました。(続く)


Back to School NYC 
デブラシオ市長が登場する
こちらの動画もなかなか素敵です。











2015年10月12日月曜日

マンハッタンで出産する(産後)

産んだ後も
”先生、そんな大きなダイヤの指輪したままとりあげてくれたの?!”
というところから始まり、次から次へと産後サプライズは続きます。
大粒ダイヤの指輪をしているドクター多く見かけます

まず新生児の足と両親の手首に紙のようなものがくるっと巻かれたのは名前入りのバーコード。
新生児室から引き渡される時には必ずスキャンでピッと照合する仕組みになっています。
トイレに行くにも必ず母親が新生児を乗せたバシネットを押して一緒に入らなければならず、片時も目を離さないよう厳しく言われます。

院内スタッフの新生児の取り違い防止というよりは、連れ去り?防止のため?なのかわからないけど。。。離婚社会アメリカでは親権が絡む色んな事件があったりするのかもしれません。

相部屋に移されてからも、”Congratulations! I'm XXXX......”
と、看護婦さんはもちろんのこと、指導員とか、母乳育児相談のコンサルタントとか、色んな人が出入りするのですが、最後の方はもう誰が誰だかさっぱりわけがわからない。
いくら無痛分娩とはいえ体力も気力も消耗しきってボロボロのところで早口の英語で質問攻めはやっぱりきついものです。

”明日、退院のオリエンテーションには必ず参加して下さい”

って、、、、3時間前に産んだとこなんですけど、、、
今、入院したとこなんですけど、、、

みたいな感じで、2泊3日のスピード入院生活はスタートしました。

退院後3日以内に赤ちゃんを小児科に連れて行くように言われ、上の子の主治医の先生に予約をとろうとすると新生児は診ていないとのこと。
すっかりあてにしていたので、慌てて友達にばーっと連絡をとり、おすすめの小児科医を聞き出し、保険適用されるか調べ、電話でアポ取り・・・・
なんてことやっていたらあっという間に半日終了してしまいました。

知らなかったよー
産む前に小児科医探しとかなきゃいけなかったなんて。

午後になって、オリエンテーションに行ってみると、またまたプチサプライズ。
なに、、これ?
夫婦で参加が2ー3組、あとは旦那さんの参加者で、産後のガウンを着て
1人でいる母親って私くらい。。

えっと、、、今日、平日だよね?
みなさんお仕事は?
うちのダンナは普通に会社行ったけど、、、

やっぱり、ここはアメリカ。を実感するわけです。こういう時。
出産は夫婦2人の恊働作業、パパたちは当然会社を休んできています。
育児も”お手伝い”じゃなく”主体的に”張り切ってやってくれる父親が多いのがアメリカ。
こういうところは本当にいいなぁと思います。

入院中は、言うまでもなく、お祝い膳のような豪華な食事もなければ、退院前のシャンプーブロー、カット、アロママッサージなど日本の産院でEnjoyした素敵な入院ライフとはほど遠く、シャワーを浴びる時間も気力もないままあっという間に退院の時間になりました。

荷物をまとめていると、看護婦さんがきて、
”病院からよ”と言って手渡してくれたのは、シャネルのコスメポーチとラルフローレンのギフトボックス。こんなのくれなくていいから、入院費安くしてーーー!


そして、退院後、懸念していた通り、今回
最大のサプライズがやってきました。

!!!請求書!!!

ぽつりぽつりと届く何枚もの請求書の金額にいちいち絶叫していたけれど、あらためて今回、検診も含めた分娩、退院までの総費用を出してみるとなんとまあ、その額日本円にして800万円近く・・・・
これ、もし帝王切開だったら冗談じゃなく1千万円いってたかも?!

保険で自己負担分は1割以下で済んだもののそれにしても、ひどい。。
わざわざご丁寧に赤ちゃんの分だけ別に請求された時にはホント目を疑いました。

新生児の部屋代だけで、
”Newborn Semi-Private”$7,700(約93万円)

Semi-Privateってあの相部屋のこと?
隣にバシネットで寝てただけなのに?
たった2泊なのに?

特別検査などもしたのでそのせいか、、、、
もしくは今回産んだ病院が殊更に高額だったのかもしれません。
ニューヨークで、アメリカでの出産が、全てこんなわけではないでしょう。

やはり入院費がとんでもなく高額でその大部分は往診にきた(と思い込んでいた)
様々な人々の人件費だったみたいです。

請求書の額を素直に払わず、保険会社と交渉すれば、安くなったかも?
来る方々の診察を断って、お帰り頂くという日本人的なマインドでは到底考えられない、裏技もあったらしいのですが。

それにしても最後までびっくりのマンハッタンでの出産体験。
先日、病院に貼ってあったバナーを見て思わず納得したのでした。

”Amazing Things Are Happening Here" 
ここで、とんでもなくびっくりするような(素晴らしい)ことが起こるでしょう!


”Amazing Things Are Happening Here”って本当にその通り・・
色んな意味でビックリの連続!








2015年8月7日金曜日

マンハッタンで出産する②

看護婦さんが部屋に戻ってきました。

”さあ、これからなんとか、かんとか”と言うと、

点滴の準備を始めているようでした。

・・・・うーん。。。


わからないけど、されるがままにしてるか、、、と、

いつもの感じでやりすごそうかとも思いましたが、
やはりここはこれから出産、というシーン。
面倒がらずに一応、確認しておくことにしました。

看護婦さん、もう一度ゆっくり説明してくれますが、

私の顔が???なのを見て通訳サービスを勧めてくれます。

通訳サービス・・・?!


そうなのです。

アメリカでは政府から補助を受けている病院では無料で
日本語の医療通訳サービスが受けられると聞いた事がありました。

今こそ、それを試す時です!


お願いします、と言うとすぐさまトランシーバーのような機器で

看護婦さんがどこかに連絡してくれました。

そんなすぐ飛んで来てくれる日本語の通訳さんがこの病院のどこかに

常時スタンバイしているのかと思うとびっくりしますが、そうではなく、
電話口から美しい日本人女性の声で

”こんにちは。本日担当させて頂きますXXXと申します。よろしくお願いします。”


と、紹介があり看護婦さんが話した内容を忠実に訳してくれました。


デパートの受付嬢のような美声で耳に心地よい通訳さんの説明は大変丁寧で

よかったのですが、でも、これ毎回ひとつ、ひとつやってもらってたら
産まれちゃうよ・・・という程のまどろっこさ。(ごめんなさい…!)

すると隣のソファーでBlack Berry片手に仕事ばかりしていると
思っていたダンナが

”要するにこれは、血管確保のための点滴でみんなやるからって。”


とサクッと。お、ちゃんと聞いててくれたのね。


そうそう、カメラマンじゃなくてこのために来てもらったんじゃないか!


ここはダンナを頼る事にして通訳体験は1回で終了としました。


間もなく陣痛促進剤が注入され、少しずつ痛みを感じ始めると、

ようやく自分の中で”さあ、産むぞっ!”という気になってきました。

この間、何人もの人が出たり入ったりしては、挨拶だけして帰って行く

いうちょっと不思議な光景が繰り広げられていました。

”Hi, 私は、麻酔科のXXXXです。”

”私は、研修医のなんとかです。”

大学病院なので、若い人も結構います。

どんな時にもまずは自己紹介して相手に警戒心を抱かせない、
というマニュアルでもあるのでしょうか。
それもなんだかアメリカっぽいけど。。。

そうして痛みもだんだん増してきていよいよ麻酔を入れる時になりました。

アメリカは無痛分娩が9割以上と聞いていたし、痛みは少なければ
少ないほどいい、
と単純にそう思う方なのでこれは大変ありがたい。

ごはんも不味い、入院も短い、くせに費用はべらぼうに高額・・・

国籍取得以外にアメリカで産むメリットはもうこの無痛くらいしかない、、、

ヒスパニック系20代とおぼしき男性の麻酔科医のヤングガイ、
一回りくらい若そう。
傍らでおじいちゃん先生に指南を受けながら背後から痛み止めの麻酔を
注入していきます。

(しっかりお願いしますよ〜)


心の中で念じながらも即座に痛みが消えるわけではなく、

薬で陣痛を誘発しているせいなのか、この時既に転げ回りたいくらいの痛みです。

”今、レベル10段階でいうと、どれくらい痛いですか?”と麻酔科医。

10と即答したいのを我慢して、"8、かな、、いやいや、やっぱり9"
とか答えながらも、
あぁ、、この先生たちには私らの痛みって一生わかんないん
だろうなぁ、などと考える余裕があったので実際はそれ程でもなかったのかも
しれませんが・・・

その後も麻酔は管を通して常時注入されている、というすごい状態で

再びベッドに横になるよう指示されます。

”痛くなったらこのボタンを押して下さいね。”
って、自分で勝手に薬入れちゃっていいの?!

でも、アジア人の私の身体には効きが良すぎたのか、

薬の量を増やすまでもなく、1時間もすると完全に痛みを感じなくなりました。

これが、、無痛分娩か!!!すごい!


でも、、こんなにも何も感じなくて果たしていきめるのだろうか。。


その時、薄手のパーカーのポケットに両手を突っ込んで、サラサラの金髪を

無造作にまとめあげた美人が颯爽と部屋に入ってきました。
まるでそのへんをジョギングしてるついでに、ちょっとここにも寄ってみたわ、
みたいな爽やかさ。

”Hi, 私はDr.XXXXよ。

あなたの担当医が来るまでちょっと見てるわね。”

と言うやいなや、子宮口の開き具合をチェックすると、

”まだまだねー。3cmってとこかしら。”

 じゃ、また来るわね〜。See you! " 

と、登場した時と同じくらい颯爽と去って行きました。

あの人、、先生だったんだ。
なんとも、、カジュアル。

それにしてもこの病院のお医者さんたちはさっきから

そろいもそろって、美しい人たちばかり!

”みんな美人だし、かっこいいし、すごいね。”とダンナに言うと

”そりゃそうだよ。医大に行けるような人は家が金持ちだからな。”

と、金持ち=美男美女、というよくわからない持論を展開してきましたが、

確かにこの国では、所得と外見の善し悪しにはなんらか相関関係があるのかも。
ダンナの持論も一理あるような気がします。
整形手術、とかいうことではなく、教育や環境的な要因が大きいような
気がするのですが。

それにしても、あの爽やか美人ドクターの言い方だとまだまだ当分、

時間がかかりそうです。

ふと周りを見渡すと、モニターを見てなにか打ち込んだり、作業している

看護婦さんたち。麻酔科の先生も時折部屋に入って来てはモニターをチェック。
そして、もちろん隣ではダンナがずっとiphoneを見っぱなし。

なんだろう、これは・・・

誰も妊婦の私を見ることなく機械ばかり眺めてるこの異様な光景・・・

いくらITの国だからって、少しばかりアナログな感じのあたたかさが
恋しくなってきます。

そのうち約束の5時になったのか私の担当医(もちろん美人)が部屋に入って

きてにっこり挨拶してくれると、知らない人と機械ばかり囲まれていた
緊張が解け、ようやく少しあたたかさを感じます。

”Hello! どう?調子は?まだ子宮口が開いてないみたいね。

また戻ってくるから、昼寝でもしてて。”

と、ドクターはいってしまいましたが、安心したのか
本当に
寝入ってしまいました。

麻酔が効いていなかったら今頃このベッドの上で身悶えていたことを思うと、

無痛分娩って本当に偉大です。

そうしてどのくらいの時間が経ったでしょうか。


目が覚めて暫くすると、ドクターが戻って来ました。

子宮口をチェックすると薄手の手袋をはめ、腕まくりしながら、サラッと一言。

”OK. Let's have a Baby!" 


”じゃ、そろそろ産みますか!”みたいな、軽いノリが
おかしくて思わず
笑ってしまいます。

どこまでもリラックスなアメリカの出産。


思いのほか子宮口が開くペースが早いので、ここで陣痛誘発剤はストップ

するとのこと。
両足を顔の近くまで自分の両手で持ち上げて、10数える間、いきむように
言われます。

でもやっぱりいきめない、、、

だって全然痛くないんだもん。

誘発剤止めたせいか、なおさら何も感じなくなっています。


ダンナも私の足を持つよう言われ

”え?!僕もやるんですか?!”
といかにも心外だなぁーみたいな感じで、慣れない手つきで手伝います。

看護婦さんがモニターで陣痛がくるタイミングを見計らっては、

”さあ、きた!始めるわよ!”と、カウント10でいきみますが、なかなか
難しくて自分でも全然赤ちゃんがおりてくる気がしません。

”もっと、がんばって。そう、もっともっと強く!”


と、夕暮れ時の黄色い西日が差し込む静かな病室に、先生と看護婦さん

2人の声が響きます。

途中休みながら、それを何度も繰り返しながらもその間、

ん??先生、なんか見てる?
院内連絡用のタブレットかなんかかと思いきや、

普通にスマホいじってます、、、、


しかもFacebookとかTwitterとかの類のSNS見てるっぽいんですけど・・・

これには、片時もiphoneを手放さないダンナでさえも、”マジか?”の表情。

友達から別の先生でも”分娩の時、スマホ見てたよ”という話を事前に聞いて

予備知識があった私はさほど驚きませんでしたが。

でもやっぱりすごいわ、アメリカのドクター・・・
日本なら絶対NG。
っていうか常識的に考えてまずあり得ない。

もう、イラっとするとか、怒りとかなくて、
あまりのカルチャーの違いに
笑えてきます。

その後も全く痛みを感じないので、誘発剤を再開すると
程なくして
じわじわと陣痛を感じ始め、赤ちゃんの頭でグイグイ押される感覚が
わかるようになりました。

その時です。

いきなり天井の一部が開いたかと思うと、巨大な丸いライトが突如、
頭上に現れました。

よくテレビで見る手術台の上とかにある白っぽい電球がいっぱい付いた
ピカーって明るい照明。

こんなところに隠されてたのか!!

同時に、どこに待機していたのか、数時間前に挨拶してくれた人たちが5ー6名、
カートに乗せた様々な機器を押しながら足早に部屋に入ってきました。

ささーっと青いシートがベッドの下に敷かれ、いつの間にかドクターも
青い白衣(白衣とは言わないか、、)に青い厚手の手袋にはめかえ、気付くと
部屋全体があの「ER緊急救命室」みたいな雰囲気になっているではありませんか!

それはまるでミュージカル!
舞台装置が変わって、ガラっと場面が変わるのを観客席から観ている・・
まさにそんな感じでした。

そうか、いよいよ産まれるんだ。

と妙に冷静な自分がいます。

よし、いくぞ、と気合いを入れてカウント10。
頭が少し出てきたようです。
2回目のカウント10で頭がズルッと出た感覚があり、
3回目のカウント10で足まですっぽり出たのがわかりました。

”オギャー、オギャー!!!”

元気いっぱいの産声を聞いて思わず安堵の涙が出そうになったところで

すっとんきょうなダンナの声。。

”えぇ?!僕がやるんですか?!”


って、今度はなにーー?


目線を下げると、動画撮影中のiphoneを片手に(←こんな時でも放さない)、

ドクターからハサミを渡され、慌てふためきながらへその緒をちょきんと切る
ダンナの右手が見えました。

へその緒ってこんなにも太かったのね、、なんてどこまでも
冷静な自分が
おかしいくらいです。

そうして、胸の上にまだ生あたたかい赤ちゃんがぽん、と乗せられて

ようやくその存在を確かめることができました。
1人目の時は感動して泣く余裕さえありませんでしたが今回は嬉しくて、
ホッとして、あとからあとから涙があふれて止まりません。

あぁ、、、良かった。

元気に産まれてきてくれてありがとう!

2015年7月9日木曜日

マンハッタンで出産する①

予定日が近づいてきました。

ところが、こない・・・
破水が、陣痛が、全くこないのです。

「2人目は2週間も早く産まれた」
「いや、私は1ヶ月近く早かった」

と話す友人たちの話をいろいろと聞いていたので、
日本にいる両親にも早めに来てもらって準備は万端。
観光もひとしきり終わり、さあ、あとはもう産まれるのを待つばかり、
となりましたが肝心の赤ちゃんが出てくる気配が全くありません。

予定日間近の検診日、先生から
「あなた何歳だった?36歳ね。それじゃ待っても10日ね。
 もし予定日過ぎて10日経っても産まれなかったらX日に
 誘発剤で産みましょう」
と話がありました。

自宅に戻るとすぐに病院の受付スタッフから電話があり
「X月X日、予約が確定しましたので午前6時に病院に来てください」
とのこと。

朝6時ってずいぶん早いな・・・

いつも診察してもらう先生のオフィスと、当日出産する病院は

数ブロック離れているので先生はオフィスと病院を行き来しているのです。
先生もそんな早朝からご苦労さまです。
24時間態勢の産科医というのは本当に大変なお仕事です。

そして、、、、
特に何が起こるわけでもなく静かに予定日は過ぎ、
また検診に行きましたが、兆しは見えません。

帰り際先生に、
「あ、X日は朝6時に病院に行けばいいんですよね。」
と何気なく聞くと、

「私はここ(オフィス)での診察が終わって、そうねぇ、
 夕方5時くらいに病院に行くから、あなたはまぁお昼くらいに
 行ってれば大丈夫よ。」
「え?でも、病院側からは朝6時に来てって言われましたけど・・・」
「あはは、気にしなくていいわ。これからもし病院の誰かから連絡あっても
 聞かなくていいから。絶対に!」

 と語尾を特に強調して「私のいう事だけ信じてればいいから」
 といったニュアンスを含む力強い返答が。。

はい、出ましたー。
オフィスと病院の連携、全然とれてなーい

あの人と、この人で言ってること、全然ちがうよ、ってこと、
よくあります、はい。
単に英語が聞き取れず自分が勘違いしていることもあるけれど、
多くは両者が言ってることが本当に違うのです(泣)

あぶない、あぶない、、、
聞いといてよかったーー

そしてついにXデーの前夜となりましたが、
とうとう赤ちゃんは出てきませんでした。

当日はダンナに会社を休んでもらって、
近所のカフェで黙々とサンドウィッチを食べ、
いつものバスで一緒に病院に向かいます。

なんとも日常の延長的な、淡々とした出産前です。

でも、病院が近づくに連れ、ダンナは少しずつ
盛り上がってきたようで信号待ちや、瀟洒なエントランスで、
「はい、ちょっとこっち向いて〜!!」と
お気に入りの一眼レフを首から下げて
バシャバシャ、シャッターをきりまくっています。

すっかりイベント気分。
こっちはこれから一世一代の大仕事だというのに・・

でもおかげで少し気分が和らぎました。

受付を済ませると、

「Hi, 私は看護婦のXXXよ。」
「同じく看護婦のXXXです。どうぞこちらへ」

と、若い看護婦さんが2人近づいてきて、
部屋に案内してくれると言います。

廊下を歩きながら、東京で長女を出産した時の記憶が蘇ってきました。
分娩台に移される直前まで3畳程の窓のない小さな薄暗い
陣痛室のベッドの上で悶絶していた4年前・・・・

アメリカは無痛分娩だから悶絶時間も短いはず、、と自分に
言い聞かせながらも、これから未知の体験が始まるかと思うと
自ずと緊張も高まります。

「どうぞ」

と通されたのは、、、

ここに来て以来、期待を裏切られることはあっても、
期待以上ということはほぼ皆無でしたが、
これはいったいどういうことでしょう・・・

木目調のウォールナットブラウンの壁に、オレンジの暖かい照明。
3畳どころか1LDKくらいの広々とした明るい室内。
ソファーがあって、テレビもクローゼットもチェストもあって、
部屋の中央には真っ白なシーツが敷かれた大きなベッドがゆったりと
横たわっています。
大きな窓からはアッパーイーストの高層マンション群と
緑の木々が広がり、やわらかな陽の光が差し込んでいるではありませんか。

どこに来ちゃった?
ここホテル・・・?

「陣痛の間はここで待つんですか?」
と、可愛い看護婦さんに聞いてみると、
「ここで産むのよ」
との答えが・・・

こ、ここ分娩室なのー?!

「ちょっ、特別プランとかにしたの?」

 とあきらかに心配顔のダンナ。
「いやいや、してないよ。」

「ここは普通の分娩室なんですか?」

 と看護婦さんに聞くと「Yes」と一言。

驚きを隠せないまま、目をまん丸くしてよくよく
部屋の中を見渡すとベッドの右隣にはたくさんの
ケーブルに繋がれたコンピューター機器やモニターが
4ー5台陳列しています。
そして隣には新生児が移動する小部屋も付いていて、
そこにもたくさんの医療機器が備わっています。

へぇ〜、すごいなぁ。
いい意味で思ってたのとだいぶ違うわ。

もっとこう手術室っぽいところを想像していたというか・・・
ピカーっとギラギラ眩しい白っぽい照明の下で、
足台の付いた固い無機質なベッドの上で、踏ん張るのだと
ばかり思っていました。

「ガウンに着替えてて下さいね」

と言われ、看護婦さんたちが部屋を出るやいなや
嬉々として撮影を開始するダンナ。

旅行でホテルに到着した時と全く同じテンションです。



それにしてもこの空間、妊婦も、同伴の家族もリラックスできるように
とてもよく考えられています。
ほどよく柔らかいベッドに横たわるとなんだか眠くなってきました。
「自宅分娩する人ってこんな感じなのかなぁ」
ウトウトしながら未体験ゾーンへの旅はスタートしたのでした。

※最近は日本にもこのような設備を備えた病院があるようです。
 LDRと呼ばれ、陣痛(Labor)、出産(Delivery)、回復(Recover)までを
 同じ部屋で過ごすという歴としたひとつのお産の方法だそうです。





2015年5月1日金曜日

幼稚園探しはじまる

以前、マンハッタンでの幼稚園探しについてポストしましたが、
いよいよ幼稚園探しに本腰を入れる時期になりました。

これまで夜な夜な情報収集していた甲斐あって、
いざ、この時を迎えて予習ばっちり!

というわけにはいかず、
毎年ガラリと変わるのがニューヨークの教育局。

今年はどこがどんな風に変わっているのでしょうか。

今年4歳になる我が子は、日本の幼稚園年中にあたる
Pre-Kindergarten(略してPre-K)への応募資格があります。

5歳になるとはじまる義務教育のキンダー(Kindergarten)の
前(Pre-)で、Pre-Kとうわけですが、ざっくりと、
キンダーが日本の幼稚園年長さん、Pre-Kは年中さん、
プリスクールは年少さん、と、こんな区分けになります。

とはいえ、Pre-Kもキンダーも公立の幼稚園という位置づけで
ありながら、Pre-Kは義務ではないといいます。

うーん、ややこしい。。

共働き世帯やお金に余裕のある家庭の子供たちは2ー3歳で
私立のプリスクールに通いはじめますが、日本の認可保育園に
あたるような0歳から入園できる公共の保育インフラが整って
いないマンハッタン。
この年次の子供を抱えた共働き世帯の苦労はかなりのものです。

以前も書きましたが、デイケアやプリスクールには
年間150万から300万円以上の費用がかかります。
延長保育もありますが、通常半日クラスならお昼前後、
フルタイムでも3時前後に学校が終わるので、
お迎えに行くシッターさんの人件費、
スイミングやバレエなど習い事などのお稽古代・・・
などなどお金はどんどん出ていきます。

いくら家事や育児をアウトソーシングするといっても、
子供を預けて働くことは日本以上に大変な現実。

母親の稼ぎより、これらの教育費の方が上回ってしまい、
家計が赤字になってまで仕事を続けるか、悩むお母さんも
多いと聞きます。

出産を機に仕事を辞める女性が多いという話は、私にとって
全く意外なニューヨーカーの一面でした。

一方で、公立のPre-Kは学費は無料ですが、これまでは
兄弟のいる子で枠は埋まってしまい、入れる可能性は
ほぼ皆無といわれてきました。

ところが!
昨年、格差是正、幼児教育の拡充を公約に掲げた民主党の
ビル・デブラシオがニューヨーク市の新市長に就任し事態は一変。

”Pre-K for All"

というスローガンを大々的に掲げ、
2ヶ年計画で全ての4歳児に席を用意すると言うではありませんか。

半信半疑でしたが、このデブラシオさん、約束は守る男、
だったようで、実際に
1年目の昨年は53,000人以上の4歳児がPre-Kに入学し、
2年目の今年は、70,000人分の席を準備するとのこと。

電車やバスの中でも、ニュースや新聞でも
”Pre-K for ALL"の文字を至るところで目にするようになりました。

市をあげての大規模教育改革。
一昨年までなら無理とあきらめていた我が家にも
希望の光が見えてきました!

さっそく、市の教育局のサイトを覗いてみると、ありました。
今年の募集要項。
ページ数88ページ、細かい英字でびっしり情報が記載されています。
2015 Directory
募集要項は方針や学校の選択肢などが
毎年大きく変わるため、注意が必要です。
私たちの住んでいる学区District2はマンハッタンの大部分をカバーしている
こともあり、60程の学校名がずらずらと並んでいます。

これだけあればどこかしらには入れてもらえるような気がする、
というのは甘いというもので、
基本的には親が毎日送り迎えしなければ
いけないので、通えるところとなると限定されます。

その上さらに、学区の中でも細かくストリートごとに”Zone”(ゾーン)に
区分けされているのがネック・・・

我が家はどこのゾーンにも入ってないからです(泣)

通常、ゾーン内の子が優先されるため、どのゾーンにも属さない
うちのような場合、希望の学校に入れる可能性はぐっと減ってしまいます。

第一希望の近所の学校は20席に数百人の応募者がある、、
という厳しい状況のようで、ゾーン外の我が家などはまず無理でしょう。

仕方ありませんが、徒歩圏内30分以内、バス圏内で通えそうな
学校を選んで第6希望くらいまでリストアップしてみました。

募集がはじまってから1週間、その順番をどうするかあれやこれや
頭を悩ませていると、

「出した後も何回でも修正できるらしいよ」と友人。

え?!そうなの?
さすが、オンラインアプリケーション!
さすが、IT大国!

修正ペン片手に手書きで何度も書き直した日本の保育園の
応募書類とは全然違うわ。

しかも、

「募集要項アップデートされてるね」との追加情報。

サイトを再び覗くと、さりげなく最新の募集要項が追記されてる・・・・

こんな大事な情報、
たまたま彼女と話さなかったら見逃すところだった。

ふー危ない、危ない。


常に情報は自分から取りにいく、
一度公表されたものも普通に変更される、
というアメリカ人にとっての当たり前にまだまだ慣れません。

スローガンでは、

"Free, Full-day, High-Quality Pre-K"

を謳い文句にしていただけあって、昨年まで半日だった
クラスは全てFull Dayコースに変更されており、
席数も増えてる学校が多い。

おっ!!
うちの近所には新設で200席近くある学校も出来るみたい。

こんな突貫工事みたいなかたちで、何がなんでも
席数と先生を用意しようとする姿勢がすごい。

実際にふたを開けてみれば、いろんな面が追いつかないだろういう
混乱は容易に予想出来るものの、それでもこのコミットメントには
驚きます。
市長の会見

さて、先週募集期間が終わり今年は69,000近くの応募があったそうです。

果たしてうちの娘は希望校のどこかしらに
潜り込めるのでしょうか・・・??

2015年4月6日月曜日

The kindness of strangers

In New York City, it’s finally getting warmer day by day.
40°F  is considered very cold in Japan. 
But it sounds warm to me  after getting used to temperatures 
around 10°F in New York.

I feel spring is just around the corner.

Well, in my blog posts I’ve written a lot about how tough 
it is living in New York.
At the same time, there are many great new experiences 
in my daily life, too, and I want to share them this time.

When I take my 3-year-old daughter with me, 
I often experience people’s geniality, and it makes me feel so warm.

I never expected so many New Yorkers to be so kind to a child!

In Hawaii, yes. I’ve frequently met friendly people 
with big smiles saying,

 “Hi! Little Baby!” in restaurants or shops. 

But I thought it was because Hawaii is a tourist resort 
and I was a customer.

This is not Hawaii. It’s New York City.

I had a stereotype that people in a big city must be cold and 
were not interested in others, but that has not been true in some points.

A year ago, when I was a newcomer in the city, 
I was surprised to find people were so nice and kind to us.
There are lots of great stories when I bring the stroller.

When I stopped in front a shop door  or subway station and 
was about to grip the doorknob, I heard a voice from behind:

I got it.”

Then the door was opened automatically, 
and someone held it until we got  inside.

Wow! That’s so nice! 

In Japan, I had experienced a man opening a door for me only as
 “ladies first” when I was out on a date.

In New York City, not only men, but also women, 
young people, the elderly and even people who look homeless 
frequently help us open doors.

How fast they are!
They suddenly appear from nowhere and go in a flash.

In many cases they are only passersby.
They are not trying to enter a shop or ride on a train, 
but just stop to open the door for an Asian mother and child.

So I’m very surprised.
Can I stop just to open the door for someone?

Many Japanese people show their hospitality 
if they have a duty or responsibility at work, 
but here something is different.

Conversely, I’m often disappointed to experience bad service 
in restaurants or shops in New York.
Do workers change to be nice and gentle outside their work place?
It’s totally opposite from Japan.

Sometimes I hear “the voice of God.”

In Manhattan, not many subway stations have an elevator or 
an escalator. 
I frequently have to go up and down dark, steep stairs in the stations.

If my daughter is awake and can walk upstairs, it’s very lucky.
But if she falls asleep on a train, it’s the worst.

I hold her in my arms with my big mama bag on the right shoulder 
and the folded stroller on the left shoulder.
Here we go!”
When I’m ready, I hear a voice from somewhere.

Do you need help? “

For a pregnant woman with a 30-pound child, 
that is almost “the voice of God!”

Oh, I really appreciate it,”
I say with my biggest smile and accept the kindness. 
”Thank you VERY much!!!” (Thinking, “You’re the God.”)

When he or she leaves, they smile at me saying, 
“ Have a nice day!”

Wow, I like that!
That’s so fabulous!

I hope I can be such an attractive New Yorker someday.
I promise myself every time.
A man talked to woman with baby to assist her.
It's very commonly happen in NY.
 When I get on a bus or a train with my daughter, 
someone immediately gives up a seat for her in very natural ways.

Even if it’s crowded and nobody stands up, 
someone (usually a middle-aged woman) tells people in seats,

Please give her a seat. She is too small, you see.”

Then people try to make room for my daughter.
I’ve never seen such a great scene in a train in Japan.

However, we can’t be too dependent on people’s kindness 
all the time.
We make an effort to avoid rush hour and fold the stroller 
as much as we can.

But when a child is sleeping with a lot of luggage, 
we have no choice but to step into a crowded train 
with a beating heart and tell people

Excuse me, we’re so sorry…”

In Japan, someone might click his tongue or frown at us.
I surely understand how they feel, and I can’t blame them.
In New York, of course, there must be many people who don’t like children.

Once when I had to get on a train at rush hour,
I hear a man at the door shout, 
Please step inside more!”

Then a lady next to me answered immediately, 
 “ There’s a stroller here.”

A man said,
Oh, Sorry. I didn’t see that.”

And it was finished. It’s very simple and openhearted.

What would have happened in Japan?

If I got on a crowded train with a stroller in Tokyo, 
I could easily imagine how people would react.
They may keep silent with smartphone in their hand, 
but watch us with an annoyed look.

 “What are you thinking?
  Read the situation.
  You lack common sense.”

They never say so, but they send a non-verbal message: 
YOU irritate us!”

Ah…what an awful situation. 
It must be feel like torture.
I can’t stand it and may flee the train to take a taxi.

In contrast, in New York, I often enjoy non-verbal communication 
with people at many places.

A store assistant, waiter and waitress, and even a stranger 
on a street give my daughter a very kind smile.

At first, I didn’t understand why people smile at my daughter 
and thought she might have made a funny face.

But I realized people just think she is cute or like a small child.
So I smile back at them. 

It’s very simple, but I really like it! 

Whenever I experience this small contact with strangers,
I come to like New York more and more.
I feel secure and it makes my day happy.

Not only for my daughter, but people smile naturally to 
see any small children.
I think people who are kind to kids mean the society is generous 
and cherishes children.

It’s really happy and lucky for parents.
A child can grow up getting such gentle affection from not only a mother, 
but also from someone in the city.

That’s fine even if it makes my daughter think she is unusually cute. 
Currently in Japan, children’s lack of confidence and self-esteem 
causes many problems, and teachers and parents think 
seriously how to raise it.

In America, I feel children’s power of self-reliance might be 
raised in many ways like this.

It’s not always middle-aged women who are nice to children. 
Sometimes it’s men, or young ladies and guys who look still single, 
or even businessmen.
It is a surprise in a very big and busy city like a Manhattan 
that so many people see and pay attention to someone else’s children.

I’m so inspired by such great people in New York.

Recently I found myself being aware of others when 
I’m walking along a street or at a public space. 
If someone needs my help, I want to repay kindness with caring feeling.

Lovely people in this city taught me to accept kindness 
and spread it to others. 
I believe such small behaviors make various manners 
and cultures in the country.

A year ago today, I first arrived here.
I’m getting used to my daily life here, 
but I want to keep people’s kindness fresh in my mind.

I don’t want to take it for granted and don’t want to forget 
my gratitude in the future.

Thank you, New York!